【メジロパーマー・大逃げでGP春秋連覇!】ウマ娘の元ネタ競走馬解説

アニメやスマホゲーム『ウマ娘プリティーダービー』のおかげで、競馬業界が盛り上がっていますね。

ウマ娘には、多くが史実になった競走馬が元ネタになっています。その元ネタの競走馬を、ウマ娘のエピソードと交えながら、まとめます。

なお、2022年4月現在、育成未実装の競走馬を中心にしています。

出典:ネット競馬 様

大逃げで92年春秋GP連覇の波乱!
メジロパーマーです。

Contents

【メジロパーマーとは!?】ウマ娘の元ネタ競走馬解説

プロフィール:期待されてなかった!?

生誕日:1987年3月21日
性別:牡馬
毛色:鹿毛

父親:メジロイーグル
母親:メジロファンタジー
母の父:ゲイメセン

生産者:メジロ牧場
馬主:(有)メジロ牧場
調教師:大久保正陽(栗東)

デビュー日:1991年3月2日
最終戦日:1994年1月23日
登録抹消日:1994年9月22日

生涯成績:38戦9勝(6.2.0.27)
獲得賞金:5億3674万2200円

特徴:
大逃げ馬、大器晩成?
フロック視されがち?
長距離タイプも1000m~3200m経験
ダート・障害レースも経験

アニメウマ娘プリティーダービー2期で、クローズアップされた競走馬の一頭です。ダイタクヘリオスと一緒に爆逃げコンビとして、レースを荒らしている様子があります。とはいえ、しれっとGⅠタイトル獲得している実力馬でもあります。

出典:アニメウマ娘プリティーダービー2期より

生産はメジロ牧場になります。メジロ牧場は、天皇賞(特に距離の長い春)で勝てる競走馬が、一番強い馬という理念の元、競走馬を生産していた牧場です。

そのメジロ牧場内で誕生したメジロパーマーですが、それほど期待されていなかったのです。父親メジロイーグルは19戦7勝。この勝利は全て大逃げだったそう。クラシックも逃げて、皐月賞4着、日本ダービー5着、菊花賞3着でした。

特に日本ダービーでは、一時後方に20馬身の差をつけての5着。馬体400㎏前後の小さな体で精いっぱい逃げる姿に、人気を博したそうです。

でしたが、その後は怪我が多く結局GⅠ勝利はなし。父・母に血統的魅力はあったものの、交配相手は専ら自家生産馬でした。

母親メジロファンタジーは、競走馬としては4戦1勝。その後、繁殖牝馬として、メジロ牧場に戻っていました。血統としては、メジロ家の中では比較的地味でした。

またメジロ牧場内同期で、父アンバーシャダイ(天皇賞春・有馬記念制覇)の仔であるメジロライアン、父メジロティターン(天皇賞秋制覇)のメジロマックイーンに大きな期待がかかっていたこともあり、幼少時は当時の担当者もそれほど記憶にないとか。強いて言えば、頑丈そうというくらい。

このあたり、ウマ娘内でも反映されています。メジロ冠のウマ娘は2期放映時は4人。メジロライアン・メジロマックイーン・メジロドーベルは、一緒に食事しているシーンがありますが、メジロパーマーだけはほとんど寄り付きません。

ゲーム内で、メジロ家のパーティーを開催しても、一心不乱に食べるだけで、誰とも会話をしないというところで反映しています。あまり居心地が良くない設定のようですね。

なお、メジロ牧場は、1987年組の競走馬命名を、海外のスポーツ選手に由来するとします。アメリカのプロゴルファーであるアーノルド・パーマーからパーマーを抜き出して、”メジロパーマー”と名付けられました。

89・90年:11戦2勝伸び悩み、降格も経験

1989年
8/12函館 3歳新馬芝1000m 2着(柴田騎手)
8/26函館 3歳新馬芝1000m 2着(柴田騎手)
9/9函館 3歳未勝利芝1200m 1着(田面木騎手)
9/23函館 コスモス賞(OP)芝1700m 1着(田面木騎手)
10/14京都 萩S(OP)芝1200m 9着(村本騎手)
11/25京都 京都3歳S(OP)芝1600m 8着(田島選手)

1989年8月函館競技場にてデビュー。デビュー戦は出遅れもあり、惜しくも2着。2戦目も2着となりますが、3戦目で初勝利、4戦目コスモス賞OPでも勝利!見事2連勝を飾ります。

その後、オープンレースに出場しますが、着外に終わります。その後、骨折が判明し長期休養となります。

1990年
6/17札幌 エルムS(1500万下)芝1800m 5着(河内騎手)
7/8札幌 大雪ハンデキャップ(1500万下)芝1800m 6着(松永騎手)
7/22札幌 道新杯(OP)芝1800m 5着(松永騎手)
8/5函館 巴賞(OP)芝1800m 8着(松永騎手)
8/19函館 函館記念(GⅢ)芝2000m 7着(村本騎手)

1990年6月に復帰し、8月頭まで一気に4戦。オープン勝利経験があるということで、1500万以下のレースに出場へ。荷が重かったか、ブービーや最下位が中心の成績に。中団から後退してしまう、力負けのレースでした。

そのまま函館記念で重賞初挑戦へ。実績が少なかったため、ハンデ斤量が軽めとなったことで、逃げの作戦に出ます。さすがに最後の直線で後退するも、15頭立ての7着。手応えを感じる戦績でした。

でしたが、また骨折が判明し、長期休養となります。

91年①:天皇賞春で初GⅠも…同期2人大敗、降格も経験

1991年
3/2中京 スズカS(1500万下)芝1200m 12着(角田騎手)
3/24京都 大原S(1500万下)芝2400m 3着(村本騎手)
4/6京都 大阪城S(OP)芝2400m 4着(村本騎手)

1991年3月に復帰します。復帰戦こそ12着となりますが、2戦目は逃げ戦法で3着。オープン大阪城Sでも逃げて4着と成績が上向いてきます。やはり逃げの戦法が向いているようです。

ここで、陣営は初めてのGⅠレースとなる天皇賞春を選択します。とはい実績少なかったメジロパーマーは18頭立て16番人気でした。なお、1番人気は菊花賞馬メジロマックイーン、2馬人気は善戦続きメジロライアン。同期の2頭に注目が集まりました。

出典:JRA公式チャンネル 様

4/28京都 天皇賞春(GⅠ)芝3200m 13着(松永騎手)

勢いよく逃げていくメジロパーマーでしたが、第3コーナー付近で捕まってしまいました。最終的にメジロマックイーン1着、メジロライアン2着の中、メジロパーマーは13着となりました。

春4戦の結果から、大久保調教師は、メジロパーマーの障害転向を考えます。でしたが、6月のクラス再編で、500万以下に降格することに。そのため、もうしばらく平地競争を継続することになりました。

6/8札幌 ニセコ特別(500万下)芝1800m 2着(松永騎手)
6/22札幌 十勝岳特別(500万下)芝1800m 1着(松永騎手)

ニセコ特別は逃げて2着とまずまず。続く十勝岳特別で、単勝1.1倍の一番人気に支持。結果、後続に10馬身差をつける大差で勝利します!約1年9か月ぶりの勝利、通算成績17戦3勝とします。

91年②:札幌記念で重賞初勝利も…続かず障害転向

この調子で、札幌記念で重賞レースに再度チャレンジすることになります。他に重賞勝利経験のある馬も参加しており、4番人気の支持となります。

6/30札幌 札幌記念(GⅢ)芝2000m 1着(松永騎手)

鞍上の松永騎手は、今回も逃げ戦法を取ろうとしますが、他2頭に先手を取られ、一旦は好意追走の形となります。でしたが、第2コーナー手前で、メジロパーマーが行きたがりそのまま先頭へ立ちます。

第4コーナーでも粘り強く走り先頭を維持。最後の直線で、重賞勝利経験のある馬が、後方待機から追い込んできますが、半馬身差で凌ぎ切り優勝!見事重賞初勝利となります。

8/4函館 巴賞(OP)芝1800m 6着(松永騎手)
8/18函館 函館記念(GⅢ)芝2400m 5着(松永騎手)
10/6京都 京都大賞典(GⅡ)芝2400m 7着(角田騎手)

これで2連勝、その勢いで駆け上ろうとしますが、その後は見せ場なく3連敗。スタートで出遅れるか、直線で伸びを欠くかのレースだったそうです。

この結果に、大久保調教師はついに障害転向を決意します。

11/2京都 障害4歳以上未勝利障3000m 1着(押田騎手)
12/1京都 障害4歳以上400万下障3150m 2着(押田騎手)

障害デビュー戦、序盤から先頭争いを繰り広げます。最後の障害を終えてから、末脚爆発。一気に6馬身差を付けて圧勝します。でしたが、続く400万以下では2着に終わります。

この時は、飛越が低く、脚をぶつけながら飛んでいました。ぶつけたところが腫れあがっていた他、身体じゅうが傷だらけになっていました。このままでは、事故になるのではと心配されました。

92年①:再度平地へ、宝塚記念で障害帰り初のGⅠ制覇!

結局、休養後に平地にもう一度戻ってきます。

1992年
3/29阪神 コーラルS(OP)芝1400m 4着(安田騎手)
4/26京都 天皇賞春(GⅠ)芝3200m 7着(山田騎手)
5/17新潟 新潟大賞典(GⅢ)芝2200m 1着(山田騎手)

ただ、方針は迷っていたようで、復帰戦芝1400mの約1ヵ月後、距離が倍となる天皇賞春に出走…。レース選択としては迷走と言えそうです。アニメウマ娘2期序盤では、占い師に、今後の道しるべを占ってもらうシーンがありますが、このあたりのことでしょうかね。

ですが、実は大事な出会いがありました。天皇賞春では、9人目の鞍上となる山田騎手が騎乗します。逃げのレースで、直線でやはり優勝馬のメジロマックイーンに敗れますが、7着粘ります。以降、山田騎手が主戦騎手となっていきます。

続いて選んだのは新潟大賞典です。複数の重賞勝利馬レッツゴーターキンや皐月賞2着馬のシャコーグレイドが相手です。ですが、ここでも斤量が軽め。逃げ戦法がばっちりハマり、2着に4馬身差をつけての勝利!重賞2勝目を飾ります。

陣営は次いで、宝塚記念を希望します。グランプリレースなので、ファン投票にゆだねられます。上位10頭に出走権が与えられますが36位と落選。ですが、新潟大賞典での勝利が評価され、推薦馬として出走が叶いました。

1992年はメジロマックイーンとトウカイテイオーが古馬路線中心…と言われていましたが、両者怪我をしてしまい、本命無き混戦模様に。メジロパーマーは23.1倍の9番人気の支持でした。

出典:JRA公式チャンネル 様

スタートから飛び出して、すぐさま先頭に。他に逃げ馬もいましたが、封じる形に。2番手には、後にバカコンビと言われるダイタクヘリオスが追走する展開になりました。

第3コーナーをメジロパーマー先頭のままで通過。各馬追い込もう…としたが、追いきれない。この時の阪神競馬場は、半年前に全面改修を行ったが、以前より路面が柔らかく、水を含みやすい素材を使用していました。

そのため、パワーがある競走馬に例年以上に有利になっていました。悠々と先頭を逃げていたメジロパーマーは第4コーナーを回っても力強い走りを維持。2番手には、天皇賞春・安田記念と連続GⅠ2着のカミノクレッセが浮上してきたものの、脚色は鈍っていました。

6/14阪神 宝塚記念(GⅠ)芝2200m 1着(山田騎手)

そのまま押し切ったメジロパーマーが見事初GⅠ制覇!2着カミノクレッセに3馬身、3着以降はかなりの差をつけていました。

なお、GⅠ馬が障害レースに挑戦するのは、過去にもありましたが、”障害帰り”の平地GⅠ優勝は初めての事であり、現在でも唯一として残っている記録です。また、鞍上の山田騎手もこれが初GⅠ制覇。人馬ともに記念すべき勝利でした。

メジロ牧場としても、嬉しい優勝…だったのですが、宝塚記念の写真には、あまり関係者が映っておらず、何か寂しい感じに。

それもそのはずで、大本命のメジロマックイーンが怪我で回避ということで、応援団の派遣中止、メジロ関係者はメジロ商事社長の北野氏のみだったそう。つまりが誰も勝つと思っていなかったのだ。

それが勝ってしまったのですから、テレビ観戦していたメジロ関係者は茫然だったそう。北野氏は号泣していたそう。

この様子、ウマ娘2期アニメ内でも反映されていて、メジロパーマーが優勝して、場内にトレーナーの姿を探すも見当たらないという描写に。

なおBlu-ray特典で、トレーナーは来ていたことが明らかになったそう。勝利目前で興奮しすぎたトレーナーは失神、医務室に運ばれていたそう。のちに勝利報告を受けたトレーナーは号泣した…と暖かいシーンになっていました。

92年②:バカ逃げコンビ結成!大撃沈の天皇賞秋

夏は休養。秋は京都大賞典から始動します。宝塚記念の優勝で、一気に注目馬となり、2番人気に推されます。

10/11京都 京都大賞典(GⅡ)芝2400m 9着(山田騎手)

いつも通り先頭に立ちますが、有力馬となり徹底的にマークされ、楽に逃げることができませんでした。第3コーナー付近で優勝するオースミロッチら他馬に並びかけられると、宝塚記念でみせた粘り腰は影を潜め、9着まで後退してしまいます。

続いて、陣営は天皇賞秋に挑みます。前走が芳しくなかったこともあり、10番人気に下がります。また、山田騎手が骨折したため、代理で藤田騎手が騎乗しました。

出典:JRA公式チャンネル 様

スタートから飛び出していくのは、いつと同じ作戦。ただ、今回は状況が違いました。同じく逃げ戦法を取ることが多いダイタクヘリオスが、すぐに並びかけてます。

すると、競い合うようにどんどんとペースが上がっていきます。1000m通過は57秒5と、平均より2秒以上も早い凄まじいペースで通過します。

しかも、1番人気トウカイテイオーや、それをマークしている有力馬もこの暴走ペースを、それほど差なく追走しているという凄い状況でした。

第3コーナーで1番にダイタクヘリオスが浮上、メジロパーマーは競い合ったのがまずかったか、2番手後退していくと、第4コーナーで後続の馬郡にも捕まってしまい、直線でズルズル後退してしまいます。

11/1東京 天皇賞秋(GⅠ)芝2000m 17着(藤田騎手)

とはいえ、超ハイペースとなった展開はただでは収まりません。逃げるダイタクヘリオスを、直線でトウカイテイオーらが並びかけますが、ここから伸びません。

追走で脚を使ってしまったため、ペースを上げきれなかったのです。テイオーや、ナイスネイチャなど他先行勢が伸び悩む中、後方待機策を取っていた人気薄馬が大外から強襲!

11番人気レッツゴーターキンが1着。追走したムービースターが2着と予想打にしない結果!しかもハイペースを演じたダイタクヘリオス8着、メジロパーマーは17着と大敗。”バカコンビ”のせいで、大波乱となってしまったGⅠレースとして語り継がれています。

92年③:バカコンビ炸裂!有馬記念優勝の大波乱!

この結果に、陣営はジャパンカップは回避、有馬記念に集中することになります。この時も、宝塚記念同様、ファン投票では17位と、出走権をもらえる10位以内に入れず。JRA推薦により、出走が認められました。

92年の有馬記念は中々濃い面子が集まり、全16頭のうち、ファン投票10位以内は7頭参加、GⅠ優勝馬は6頭もいました。1番人気はジャパンカップ優勝で復活を遂げたトウカイテイオー、2番人気はこの年の菊花賞馬ライスシャワーでした。

そんな中、メジロパーマーはブービーの15番人気に甘んじます。春のグランプリ宝塚記念を制している身で、他GⅠレースを制したことのない競走馬よりも低評価に…。

どうも、京都大賞典や天皇賞秋の惨敗で、宝塚記念優勝はフロックだったという見方が大勢を占めていたようです。とはいえ、馬券的には言われていることがありました。”人気薄の逃げ馬”は要注意。マークがきつくて逃げれなかった2戦、マークが薄くなっていた。

参照サイト:カンテレ競馬【公式】

スタートと同時に鞭を打って、今回も先頭へ。最初こそ早いペースだったものの、前回の天皇賞秋の暴走失速があったことで、他の馬はついていく判断はせず、

さらにトウカイテイオーが出遅れたこともあり、マークは後方待機の有力馬に注意が移っていました。比較的ゆったりとした展開の中、悠々と逃げることに成功します。

1周目の正面直線で、遅いペースにじれたのか、それとも大観衆に押されたのか、ダイタクヘリオスが集団から抜け出し、かかり気味で追い上げてきます。

第1コーナーで並びかけるとこのまま2頭でペースアップ。どんどん後続を突き放していきます。第3コーナー入り口付近で、なんと15馬身のリードとなります。

また天皇賞秋のバカコンビがやってる…と思われていましたが、山田騎手によると、パーマーはかかっていたわけでなく、うまく折り合いをつけることができていたといいます。

アナウンサーも焦り気味で、「早く追いかけなければいけない」「後続14頭が一気に追い上げないと、とても前2頭を捕まえられそうにない」とまくしたてます。

実際、第4コーナー出口でもまだ大差がありました。人気馬トウカイテイオーが絶不調で追いかけることが出来ず、マークしていた後方14頭全馬の仕掛けが遅れていました。

最後の直線に出たタイミングでメジロパーマーが単独先頭に。ダイタクヘリオスは力尽きるように一気に後退(追い上げるレガシーワールドらの進路を絶妙に塞ぎながら)、馬群に沈んでいきます。

でしたが、自分のペースで逃げていたメジロパーマーは、そこまでの失速ありませんでした。懸命に逃げ続けます。残り50mから恐ろしい末脚を発揮したレガシーワールドが並びかけたところで、ゴール版でした。

12/27中山 有馬記念(GⅠ)芝2500m 1着(山田騎手)

目視メジロパーマーが逃げ切ったかに見えましたが、首が高い走法のメジロパーマーは、並ばれた時はやや不利。写真判定にゆだねられました。

結果、ハナ差逃げ切り優勝!史上4頭目のグランプリ春秋連覇を成し遂げてしまいました。しかもともに人気薄の大逃げレースで制してしまったのですから、大荒れでした。単勝4940円、馬連は31550円の返しでした。

そういえば、有馬記念は同期の”メジロ冠”馬は惜敗続き。90年は、メジロライアンがオグリキャップの2着、91年はメジロマックイーンが、これまたブービー人気馬ダイユウサクに不覚を取る2着、有力同期馬が取れなかったGⅠを取ったのです。

展開も恵まれました。そこまで早くないペースで抜け出すことに成功、道中で”バカコンビ”ダイタクヘリオスが追いついてきて、無理なく大逃げすることに成功していました。

結果的に、バカコンビの相方が、メジロパーマーの優勝をアシストする形になったため、1992年有馬記念は「バカコンビによるバカコンビのためのバカ有馬記念」と後世に語り継がれることになりました。

なお、ダイタクヘリオスはこれが引退レースであったため、バカコンビ結成は、これが最後となりました。なお、お別れにアニメ内でも再現されていた、バカコンビの大逃げの一枚絵を置いておきます。

出典:アニメウマ娘プリティーダービーSeason2期内より

93年:実力証明!大逃げでレコード3着の天皇賞春

メジロパーマーもグランプリ連覇で引退を考えたものの、種牡馬としてやるにはもう少し実績がほしいと、1993年も現役続行となりました。

休養を挟み、天皇賞春の前哨戦となる阪神大賞典を選択します。オッズで1番人気となったのはブロンズコレクターと言われ、有馬記念でも3着だったナイスネイチャ。

メジロパーマーはグランプリホースにも関わらず、3番人気。展開がハマった、宝塚記念・有馬記念の優勝はフロックだという見方が大半でした。評価されないのは、安定しない逃げ馬の宿命かもしれません。

そんな中、レースはスタートします。スタートしてすぐ先頭に立つと、ぐんぐん差を広げます。1週目正面直線で10馬身近く差を付けます。

向こう直線では、徐々に2位集団が追い上げます。第3コーナーに入ったところで半馬身差と、ほぼ追いつかれます。直線に入ったところで、並びかけたナイスネイチャが先頭に。

もう落ちていくだけと思われましたが、鞍上山田騎手は冷静だった。相手が追いついてきたタイミングで鞭を入れます。

もう一度足を伸ばしたメジロパーマーは、ナイスネイチャを差し返すと、最後追い上げてきたタケノベルベットを半馬身差で凌いで見事に優勝!重賞レース5勝目を飾りました。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm3340879

1993年
3/14阪神 阪神大賞典(GⅡ)芝3000m 1着(山田騎手)

逃げて、最後また伸びる強いレースに、ぐっと評価が上がりました。続く天皇賞春では、GⅠレース過去最高人気となる4番人気で臨みました。

なお、天皇賞春3連覇がかかるメジロマックイーンが復帰して1番人気、菊花賞馬で前哨戦も制しているライスシャワーが2番人気。この両雄から逃げる展開になります。

出典:JRA公式チャンネル 様

これまで通りスタートを決め、ぐんぐんと差を広げていきます。第2コーナーでは、8馬身ほどのリード。2000m2分04秒で通過は、前年より2秒以上早いペースになりました。

第3コーナーにさしかかるあたりでも、まだ3馬身程のリードがありました。このあたりから、本命馬メジロマックイーンが、これを追走するライスシャワーが襲い掛かってきます。

最後の直線に入ったところで、内側からメジロパーマー・メジロマックイーン・ライスシャワーが横並びになる熱い展開!

(アニメウマ娘では、マック×ライスの2強対決に焦点を絞るため、直線からは2人しか描かれていないが、本当はパーマーまだ粘っている)

ここから抜け出したのは、ライスシャワー。マックを倒すために、極限まで追い込んだ小さな馬体が揺れた。3分17秒1のレコード勝ちだった。

ここから2馬身差で、3連覇ならなかったメジロマックイーン、そしてここから4分の3馬身差でメジロパーマーも粘って3着粘った。

4/25京都 天皇賞春(GⅠ)芝3200m 3着(山田騎手)

この3着メジロパーマーまでがレコードタイム。4着以降には大差をつけていた。最強ステイヤーとも言われる2強には屈したものの、

それほど差がなく、ゴール。しかもレコードタイム相当だ。フロックと言われてもやはりGⅠを2度勝つ馬、展開が向いたときに勝つ実力がある競走馬だということは、十分に示したのではないでしょうか。

メジロパーマーファンには、勝った1992年GⅠより、この1993年阪神大賞典と天皇賞春を推す人は多いようだ。

94年:復調気配も…怪我・引退

でしたが、その後は苦しい競馬が続きました。

6/13阪神 宝塚記念(GⅠ)芝2200m 10着(山田騎手)
10/10京都 京都大賞典(GⅡ)芝2400m 9着(山田騎手)
10/30京都 スワンS(GⅡ)芝1400m 11着(山田騎手)
11/28東京 ジャパンC(GⅠ)芝2400m 10着(山田騎手)
12/26中山 有馬記念(GⅠ)芝2500m 6着(横山騎手)

1994年
1/23阪神 日経新春杯(GⅡ)芝2500m 2着(山田騎手)

メジロマックイーンに次ぐ2番人気で臨んだ宝塚記念は、第3コーナーで早くも捕まり10着。その後は掲示板を外すレースが続きました。

人気を落として臨んだ有馬記念で6着と粘ると、年明けの1994年1月日経新春杯、重い斤量を背負った中、2着粘ります。

この時第4コーナーを回ってもまだ先頭をキープ。ラスト100mでムッシュシェクルに捉えられるも、後続馬は突き放すレースでした。

これには復活も期待されましたが、直後に故障していることが判明。競走馬の癌とも言われる屈腱炎でした。

メジロ牧場で休養しますが、完治する目途が立たなかったこと、高齢であることを加味して1994年9月、競走馬として引退することになりました。

引退後は、種牡馬となるも、目だった産駒は、障害競走でGⅡ京都ハイジャンプを制するメジロライデンあたり。2002年を最後に種牡馬を引退、2012年4月7日に心臓麻痺により他界、25歳でした。

まとめ:ウマ娘育成実装についても

こう見ると、波乱万丈ですね。

・デビューから2年間で2勝、骨折も2度
・降格、障害レースも2度経験
・その後に、逃げ馬として覚醒
・宝塚記念&有馬記念で92年グランプリ連覇!
・爆逃げコンビは92年後半
・強かった93年春、京都大賞典と天皇賞春
・生涯5億円ホース

最初は芽が出ず、条件戦も勝ちあがれませんでした。逃げで重賞勝利もしましたが、降格、勝利を求めて障害レースに転向したこともありました。

その後障害の飛越が下手ということで、もう一度平地競争に戻った時に覚醒。展開に恵まれた見方が大半も、1992年の宝塚記念・有馬記念と春秋グランプリホースに!

ダイタクヘリオスとの爆逃げコンビと言われたのもこの頃でした。有馬記念は、途中からヘリオスが逃げに加わりペースアップ、セーフティーリードを築くアシスト(結果的に)する形でした。

フロックの声を一蹴したのが、93年春レース。阪神大賞典で並ばれてから突き放して勝利。天皇賞春は、レコード決着の3位。実力馬ということを十分に示して引退。

賞金的にも5億円以上稼いで、メジロ牧場を潤しています。同じ1987年組で、マックイーンとライアンの賞金で屋内運動場を、パーマーの賞金で休養馬用の厩舎を新築したそうです。

さて、ゲームアプリウマ娘プリティーダービーでは、まだ育成はできないんですよね。2期に登場して、今年になり勝負服は実装されています。

ウマ娘的には、爆逃げコンビのダイタクヘリオスと一緒に実装したいのではないでしょうか。おそらくストーリーを慎重に進めているのではないかと考えています。続報を待ちたいです。

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