アニメやスマホゲーム『ウマ娘プリティーダービー』のおかげで、競馬業界が盛り上がっていますね。
ウマ娘には、多くが史実になった競走馬が元ネタになっています。その元ネタの競走馬を、ウマ娘のエピソードと交えながら、まとめます。
画像:ウマ娘プリティーダービー
今回は、『緑のめんこは不屈の塊』のフレーズで有名な、
キングヘイローです。
Contents
生誕日:1995年4月28日
父:ダンシングブレーブ
母:グッバイヘイロー
生産:北海道新冠町
馬主:浅川吉男
調教師:坂口正大
厩務員:時岡和幸
生涯成績:27戦6勝(6.4.4.13)
獲得賞金:5億26万6千円
1995年生まれ、クラシック世代としては1998年世代になります。98年世代は非常に色濃く、クラシックレースではスペシャルウィークとセイウンスカイ、外国産馬ではグラスワンダー、エルコンドルパサーもいました(アニメ1期では一部史実からifルートはありながらも、詳しく描かれていましたね)。
そんな中でも、非常に期待が高かったのが、キングヘイローなんですね。なぜかというと、血統が非常に優れいていたからです。
父親のダンシングブレーヴは、世界一格が高いレースと言われるフランスの凱旋門賞を制しており、しかもその中でも”最強の凱旋門賞馬”と言われていました(2022年4月に競馬の本場・イギリスで競走馬部門の伝統入り!)。
また、母親のグッバイヘイローは、アメリカでダート戦GⅠレースを7勝もしています。
競走馬の価値は、成績と血統で決まると言っても過言ではありません。今回は、エリート×エリートの配合、世界的な良血馬であり、特に注目が高くなることが分かります。。ウマ娘ゲーム内でも、いいとこのお嬢さんの設定なのは、このためですね。
ですが、先述のようにライバルが非常に強い世代でした。アニメ内では、そこまでキングヘイローが活躍する場面は少なかったと思います。実際のところ、GⅠ勝利をめぐって、様々なドラマがありました。できるだけ分かりやすく解説していきます。
期待が高かったキングヘイロー、坂口調教師は、当初はトップジョッキーの武豊さんにオファーを出していました。でしたが、武豊さんが予定が合わず、断りの電話を入れたそうです。
その電話を受けた坂口調教師の横に、たまたま福永祐一さんが座っていたため、「乗る?」の一言で騎乗決定!まだデビュー2年目でしたが、福永さんもってました。
1997年10月デビューを迎えます
一気に4戦、新馬戦を無難に勝ち上がると、東京スポーツ3歳Sで重賞初勝利!なお、福永さんにとっても中央重症初勝利、キングヘイローで記念すべき勝利を飾っています。
年末のらじおたんぱ杯3歳Sこそ、惜しくも2着になりますが、次の年のクラシックシーズンに非常に期待が持てる結果となりました。
1998年になり、4歳馬となったキングヘイロー。最初のレースは、クラシック皐月賞の前哨戦となる弥生賞に出走します。昨年の成績が評価され、1番人気となります。
でしたが、スペシャルウィークとセイウンスカイに、4馬身離れた3着となってしまいます。
続いて、クラシック初戦の皐月賞は、3強の一角で3番人気で出走します。
動画:JRA公式チャンネル
最後の直線に入ったところで、抜け出したセイウンスカイが2番馬のリード。キングヘイローとスペシャルウィークが最後に追い込んでくる展開。特にキングヘイローが、ぐっとその差を縮めていきますが、僅か半馬身及ばず2着となります。
続いて、クラシック2戦目東京ダービーとなります。日本のホースマンの夢である東京ダービーですが、福永ジョッキーも並々ならぬ想いがありました。というのも、福永祐一さんの父親福永洋一さんもジョッキーで、9年連続年間最多勝を記録するなど、天才ジョッキーの一人でした。
でしたが、日本ダービーは勝つことはできなかったのです。そんな中、落馬事故により大怪我を負ってしまい、ジョッキーを引退せざるを得なくなっています。偉大な父親が取れなかった日本ダービーに初挑戦となっていたのです。
それだけの大きな想い…はありましたが、また平常心をも狂わしてしまっていました。
動画:JRA公式チャンネル
今まで先行策を取っていた、キングヘイローがなんと逃げる展開に。福永ジョッキーが、スタート直後に、キングヘイローを軽くしごくと、かかり気味(抑えが効かなくなる)に先頭に出てしまったそうです。
この時、福永ジョッキーは頭が真っ白になってしまったそうです。実際、とても緊張していて、レース前武豊さんが話しかけても、気づかず全く反応しなかったという話もあります。気が付いたら、最後の直線に先頭で入っていました。
「とんでもないことをしてしまった」と思ったときには、もう遅かった。後方脚を溜めていた競走馬に次々に追い抜かれ、14着。まだ21歳だった福永ジョッキーには、あまりにも酷な結果でした。
なお、優勝したのはスペシャルウィーク騎乗の武豊さん!これがダービー10度目の挑戦で初めての制覇。今でこそ、歴代最多の5度の優勝を誇っていますが、武豊さんも最初の壁は打ち破るには苦労されています。それだけ、他のレースとは雰囲気が違うレースなんですね。
その後の1998年キングヘイローの成績。
次のレースはベテラン岡部騎手になるも、その後3レースはもう一度福永騎手に乗り替わり3レース。京都新聞杯では、スペシャルウィークを半馬身差の2着と追い詰めるも、菊花賞・有馬記念は目立つことなく終えます。
結局、1998年のレースは一度も勝つことができなかったのですね。
1999年になり、主戦騎手が変わります。当時中堅の域となった柴田善臣騎手に変更に。また、菊花賞・有馬記念と距離が伸びたレースで順位を落としたため、中距離路線で出場することに。すると、
重傷を連続して勝利!久々に結果がでます。しかも、中距離は絶対王者だったタイキシャトルが引退した直後、新たな中距離のヒーローとして、大きな期待が持たれました。
ところが…です。ここから連敗街道が続きます・
中距離で初GⅠ挑戦となった安田記念で11着大敗、その後もパッとしない成績が続きます。
坂口調教師も、左回りのコース・右回りのコース、メンコをつけてみたり様々なことを試しますが、いまひとつの結果が続きます。
11月には鞍上を再び福永騎手に戻して、マイルチャンピオンシップで、見せ場は作るも、この年の中距離王者エアジハードに僅かに及ばず2着。この年もGⅠを取ることはできませんでした。
年明け2000年。初戦はなんと、初ダートとなるフェブラリーステークスが選ばれました。新境地開拓の意味はありましたが、
戦術の通り母親がダートでGⅠ7勝を挙げていること、練習でダートでパワフルな走りを見せていたことが決め手となったそうです。
でしたが…
実は、キングヘイロー気性が難しいところがあり、馬郡に囲まれたり、土を被るとやる気を失うところがありました。
このレースでは1番ゲート出走となってしまい、キングヘイローとしては、非常に相性が悪いレースとなってしまったのです。
これで、キングヘイローはGⅠレース10連敗を喫してしまいました。
「GⅠにしがみついている」など心もとない声が、阪口調教師のもとに届いていたそうです。
それでも、この超良血馬キングヘイローに、”何とかGⅠ制覇を”という信念は揺るぎませんでした。
そして、次レース…不屈のエリートが、ついに…
動画:カンテレ競馬【公式】
鞍上柴田騎手、前走のこともあり4番人気に留まっていました。幸い外枠を引けたところ、中団の外側を悠々と回ります。
残り200m地点で12番手付近でしたが、ここから父親譲りの末脚が爆発!内側で福永騎手騎乗のディヴァインライトを含む有力馬が横一線で叩き合っている中、実況通り「撫で切った!!」レースでした。
この結果に、坂口調教師は人目をはばからず号泣。競馬ファンは、”え、ここでくるの!?”と一瞬驚いたのち、”ようやく勝てたんだ”と祝福をしました。
なお、このレースの2着は福永騎手騎乗のディヴァインライト。インタビューでは「一番前にいてほしくない馬がいた」と、自身の手で勝たせてあげられなかった複雑な気持ちを語っていたり。
その後のキングヘイローは勝利を飾ることはできませんでした。
最高着順は、福永騎手騎乗の安田記念の3着、日本馬では1着だったので惜しかった。というか福永騎手も日本ダービーの失敗以外は、結構上位にまとめていたのですよね。
そのまま短中距離路線を歩んでいたのですが、引退レースの有馬記念で2年ぶり長距離レースに参戦。坂口調教師が、柴田騎手「最後方から一気のレースをしてくれ」という指示を出します。
動画:カンテレ競馬【公式】
このレース自体は、大本命テイエムオペラオーが勝てるかどうかに大きな注目が集まり、最後の最後に抜け出して、1番人気に応える形で勝利しています。
そんな中、キングヘイローは第3コーナー前で、指示通り最下位通過、そこから大外から一気に突っ込んできて、勝ち馬と1馬身半差の4着に食い込んでいます。
このレースは、キングヘイローファン今でも語り草になっています。キングヘイローの得意距離はどこなのか?
確かにGⅠ勝ったのは、短距離1200m高松宮記念です。とはいえ、同じ短距離で10着台の撃沈しているレースもあります。そうかと思えば、短距離馬としては、明らかに長い有馬記念で4着に食い込んでくる…距離云々だけで語ることができない、キングヘイローの魅力の一つになっています。
現役引退後は、優駿スタリオンステーションで種牡馬入りを果たしました。種付け料は100万円。一般市民の感覚からすると高いですが、この界隈では結構な安価な価格です。
例えば、無敗クラシック三冠を成し遂げたディープインパクトやコントレイルは900万円の設定。これで産駒(子供)の成績が良ければさらに上昇していきます。
キングヘイローはGⅠ1勝だったので、この価格でした。とはいえ、先述のように世界的な良血馬、それが100万円ということで、例年100頭を超える繁殖牝馬に恵まれました。
その結果、
・カワカミプリンセス(無敗オークス・秋華賞2冠馬)
・ローレルゲレイロ(高松宮記念親子制覇)
・メーデイア(JBCレディスクラシック)
といった、GⅠ勝利馬が3頭など、中央重賞馬を11頭を産出。この実績から、受胎成功した場合は、350万円まで種付け料が高騰しました。
さらに、ブルードメアサイアー(母父)としても、2021年凱旋門賞朝鮮のディープボンドや、短距離馬として名をはせたピクシーナイト、若手でイクノイックスなども有名ですね。まだまだ、キングヘイローの血は受け継がれていきそうです。
最後に、途中までキングヘイロー主戦騎手だった、当時若手の福永祐一騎手のその後についてです。キングヘイロー引退の際は、坂口調教師とともに一緒に見送り、「キングヘイローから色々なものを教えてもらった」とコメントします。
その後も騎手生活にまい進。”親の七光り””ヘタクソ”など厳しい声も聞かれながらも、確実に実績を上げます。2011年にJRA賞最高勝率騎手となると、2017年7月15日にJRA通算2000勝達成。21年での到達は、武豊さんに次ぐ2番目のスピードでした。
でしたが、どうしても勝利できなったのが日本ダービー。ほとんど毎年挑戦していましたが、福永家の悲願として、どうしても獲りたい称号でしたが、取れませんでした。
そんな中、2018年日本ダービー、5番人気ワグネリアンでついにダービー制覇。福永家悲願ついに達成、キングヘイローでの初挑戦から19度目の挑戦でした。
するとこれまでの苦戦が嘘のように、2020年コントレイル2021年シャフリヤールと、3度のダービー制覇。現在のトップジョッキーといっても過言でない成績を残しています。
なお、キングヘイローは、2018年の福永騎手のダービー制覇を見届けるように、2019年3月19日に他界。その5日後に行われた高松宮記念、福永騎手はミスターメロディで制覇を成し遂げます。
しかも、1着~5着の競走馬の背番号が「3、4、7、13、5」で、”さよならキングヘイロー号(13はキングヘイロー高松宮記念制覇時の番号)”となったことも話題に。キングヘイローに捧げる勝利となりました。本当に、切っても切り離せない存在です。
こんな感じで、紹介していきます。ひとまず、主がウマ娘を知ってから、気に入った競走馬とエピソードでした。
次からは、この時点でゲーム実装直後や未実装のウマ娘の、元ネタとなった競走馬を紹介していきます。
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ウマ娘【競走馬元ネタ解説シリーズ】
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