【ヤマニンゼファーとは!?】ウマ娘の元ネタ競走馬解説その2

アニメやスマホゲーム『ウマ娘プリティーダービー』のおかげで、競馬業界が盛り上がっていますね。

ウマ娘には、多くが史実になった競走馬が元ネタになっています。その元ネタの競走馬を、ウマ娘のエピソードと交えながら、まとめます。

画像:ネット競馬.com

今回は、”そよ風というには強烈すぎた””最強の神馬!”と呼ばれた
ヤマニンゼファーを紹介します。

Contents

【ヤマニンゼファーとは!?】ウマ娘の元ネタ競走馬解説

プロフィールについて

生誕日:1988年5月27日
父親:ニホンピロウイナー
母親:ヤマニンポリシー

生産者:錦岡牧場
馬主:土井宏二→土井肇
調教師:栗田博憲
獲得賞金:5億8080万9600円
通算成績:20戦8勝(8.5.2.5)

父親はニホンピロウイナー。ミスターシービー世代になりますが、主戦場は主に短距離。84年マイルCS、85年安田記念、85年マイルCSと3つのGⅠを制覇しています。特に84年・85年のマイルCS連覇は凄い戦績です。

ちょうどこのころに、短距離路線が整備されたこともあり、”元祖マイラー””日本短距離馬の草分け的存在”とも言われているお馬さんです。母親は1勝馬ですが、短距離の血筋。

もう短距離馬がほしいということで、配合し生まれたのがヤマニンゼファーだったのですね。実際、短距離馬に適した体つきで生まれてきて、クラシック路線は目もくれず、徹底しての短距離路線になりました。

デビュー遅れるも…12番人気で初戦勝利!

1990年8月に茨城県美浦トレーニングセンターの栗田博憲厩舎に入りました。でしたが、直後に骨膜炎を発症してしまい、一旦放牧。12月に再入厩となりましたが、その骨膜炎の影響で思うように調教が進みませんでした。

体質も弱く、調教してもすぐにへばってしまったのだ。これには栗田調教師も、”もやしっ子”と呼んでいたらしい。

デビュー戦は、遅れに遅れ、1991年3月に。まだ足元に不安がある中でしたが、2週間後にこの世代の新馬戦が終わってしまうということで、強引に走らせるしかありませんでした。なお、脚への負担が少ないと言えるダート戦でのデビューとなりました。

・3/9 4歳新馬ダ1200m 1着(横田騎手)
・3/30 4歳500万下ダ1200m 1着(横田騎手)
・4/13クリスタルC(GⅢ)芝1200m 3着(横山騎手)

事前の情報もあってか、12番人気と低評価。陣営も特に期待しませんでした。レースは終始最後方、やっぱりまだ厳しいと思われましたが、

大外から、直線一気の追い込みを見せます。まためて全部なぎ倒して、1着入線!早速能力の片鱗を見せました。

2戦目ダートも難なく制すると、3戦目で重賞&芝初挑戦となるクリスタルCを選択。勝利とはなりませんでしたが、勝馬と0.4秒差の3着と好走。3戦とも好成績で追えます。

次走は、ラジオたんぱ杯の予定でしたが、骨膜炎が再発。約半年間ほど休養します。再始動は10月から。

・10/16 4歳上900万下ダ1200m 7着(横山騎手)
・12/1 4歳上900万下ダ1200m 1着(蛯沢騎手)
・12/15スプリンターズS(GⅠ)芝1200m 7着(蛯沢騎手)

復帰戦こそ7着に敗れるも、12月の同条件レースで1着として復調。その後、将来を見据えて、スプリンターズSにてGⅠ初挑戦へ。さすがに叶わなかったものの、勝馬と1.0秒差の7着。大器の片鱗はこの時点でみせていました。

11番人気吹き飛ばす!安田記念でGⅠ初制覇!

年明け1992年は、まずオープン馬入りを目指しました。

・1/6サンライズS(1500万)ダ1200m 2着(蛯沢騎手)
・2/2羅生門S(1500万)ダ1200m 1着(田原騎手)
・4/25京王杯SC(GⅡ)芝1400m 3着(田中騎手)

条件戦は2戦で突破。対しいつもまともになり芝に本格参戦。安田記念GⅠを見据えて京王杯SCに出場。しばらく主戦騎手となる田中騎手を乗せて、終盤に少しヨレながら3着に食い込みます。

手応えを感じた陣営は、安田記念(GⅠ)に乗り込みます。前年のマイルCSを制したダイタクヘリオスや、スプリンターズSを制覇したダイイチルビーが人気の中、

ヤマニンゼファーは11番人気と非常に低評価。重賞未勝利や初の1600mということ。もしかすると、この時点でGⅠ未勝利だった田中騎手の評価や18番大外枠があったのかもしれません。

そんな中、虎視眈々と勝利を狙っていました。

参照サイト:JRA公式チャンネル

・5/17 安田記念(GⅠ)芝1600m 1着(田中騎手)

序盤から中団に位置すると、最後の直線に差し掛かるところでスルスルと前に出てきて3番手争いまで浮上します。

そのままじわじわと進出。残り200m手前で先頭に躍り出ると、カミノクレッセやムービースターの追い上げを凌ぎ切り、見事GⅠ初制覇!

父ニホンピロウイナーに次ぐ父子勝利!また、田中勝春騎手にとっても、初のGⅠ制覇、見事な騎乗でした。

しばらく善戦馬も…中距離でもいける判断!

1992年春は安田記念が最後、暫く休養へ。秋~年内まで3戦するも、ここは惜しい競馬続いたのですよね。

・9/13 セントウルS(GⅢ)芝1400m 2着(田中騎手)
・11/22 マイルCS(GⅠ)芝1600m 5着(田中騎手)
・12/20 スプリンターズS(GⅠ)芝1200m 2着(田中騎手)

掲示板内(5着以内)には入ったのですが、ここは勝つことは叶いませんでした。輸送の影響での食欲不振があったと言われています。

スプリンターズSは、あと一歩でした。序盤から、内側で4番手争いを展開します。最終コーナーでうまく内側を突きながら、1着争いへ浮上。

残り200mで一気に突き放して、勝ったかと思われたのですが…

参照サイト:JRA公式チャンネル

大外からニシノフラワーが強襲!ゴール版直前で差され、僅か鼻差でGⅠタイトルを逃すことになりました。

年明け1993年。そろそろ種牡馬入りを健闘する時期になってきました。その際、短距離だけでなく中距離の実績も必要、天皇賞秋(GⅠ)2000mを最大目標としました。

とはいえ、これまでのレースとは明らかに長い距離。適性を見極めるために、相馬眼に優れていた田原騎手を、鞍上に添えて、2戦戦うことになります。

・2/28 マイラーズC(GⅡ)芝1600m 2着(田原騎手)
・3/14 中山記念(GⅡ)芝1800m 4着(田原騎手)

距離が伸びた中山記念で4着となりますが、勝ち馬からは、0.3秒差。まだ前半からのハイペースに耐えた。田原騎手は「中距離もいける」と判断。本格的に、天皇賞秋を目指すことになりました。

安田記念連覇!!そして”神馬”の由来は!?

その前に、春は安田記念連覇へ。今年から国際GⅠになり、規模も大きくなりました。昨年同様、京王杯を使っていきますが、

主戦騎手の田中勝春騎手が、騎乗停止処分中だったため、急遽柴田善臣騎手が騎乗します。

・4/24 京王杯SC(GⅡ)芝1400m 1着(柴田騎手)

最後の直線でしっかり抜け出して、1着と結果を残します。連覇に弾みをつけます。この結果から、安田記念ではニシノフラワーに次ぐ、2番人気に支持されます。

なお、騎手は柴田騎手がそのまま続行へ。京王杯のみの代打のつもりだったのですが、田中騎手が大恩師が素質を見出したセキテイリュウオーに騎乗する予定ができたためでした。

参照サイト:JRA公式チャンネル

スタートダッシュを決めて、2番手につけると、直線に出たところ早め先頭へ。そこから、他馬の追い上げを凌ぐ根性レース!見事連覇を達成しました。

また、柴田騎手にとっては、GⅠ初制覇!昨年は田中騎手に、今回は柴田騎手に初GⅠをプレゼントしているのですね。

中々GⅠタイトルを獲得できなかった騎手で、GⅠを獲得したことを評して、ヤマニンゼファーのことを”神馬”と表現するファンがいます。

騎手に実績が少ないとなると、それだけで馬券購入を辞める競馬ファンも多いです。特に田中騎手は、その後15年間GⅠ勝つことができませんでした。このことが、ヤマニンゼファーの価値を、結果的に高めています。

秋の盾!前騎手との壮絶な根性叩き合い!

秋は、天皇賞秋を見据えて毎日王冠から始動します。

・10/10 毎日王冠(GⅡ)芝1800m 6着(柴田騎手)

結果は6着、勝ち馬からも1秒近く離されるあまり良くない内容でした。でしたが、陣営は天皇賞秋への出場を決定。

栗田調教師は「毎日王冠は、天皇賞へ向けた叩きに過ぎない。仕上げれば必ず距離は大丈夫だ」とコメント。ヤマニンゼファーには、厳しい調教を課した。

父ニホンピロウイナーは、天皇賞秋に出場したものの、3着。距離の壁を超えることはできていなかった。その分の想いもあった。

迎えた天皇賞秋、当時の最強馬メジロマックイーンが、レース4日前に屈腱炎を発症し引退。本命馬不在の大混戦ムードが漂っていました。そんな中、ヤマニンゼファーは5番人気に支持されました。

レースは、逃げ馬ツインターボが逃げる中、3番手の好意につけます。直線に入る残り500m付近で捉えると、安田記念のように早め先頭へ。じわじわ抜け出していくが、外から猛追してきた馬が一頭、

ヤマニンゼファー前騎手、田中勝春騎手鞍上のセキテイリュウオーだった。恩師に報いるため、このレースには並々ならぬ想いがあった。残り200mで並びかけると、セキテイリュウオーが先頭へ。

するとヤマニンゼファーが根性を見せて、馬隊を自ら寄せ、差し返す動き。両者譲らず、ほとんど並んだままゴール版を通過した。

参照サイト:JRA公式チャンネル

写真判定の結果、ハナ差でヤマニンゼファーの勝利!これでGⅠ3勝目!さらに父ニホンピロウイナーが果たせなかった秋の盾、距離の壁を越え、父親を超えた瞬間でもあった。

鞍上の柴田騎手は「俺の勝利というより、ゼファーの完璧な勝利だったよ」とコメント。自ら差し返す動きを見せたヤマニンゼファーの勝負根性を称えました。

一方、セキテイリュウオー鞍上の田中騎手は悔し涙が止まらなかった。勝ちたい気持ちが強すぎて仕掛けが早かったこと、かつての相棒に屈したこと、様々な想いが、後悔の念となったのだった。

引退レースで三階級GⅠ制覇をかけるも…!

秋の天皇賞後、疲れが出たこともあり、マイルCSは回避。引退レースに、暮れに行われるスプリンターズS(芝1200m)を選んだ。

もし制覇すれば、1200m・1600m・2000m三階級でのGI制覇になるからだ。スタート中団に付け、コーナーで前方進出を開始するいつものレースを行った。

参照サイト:JRA公式チャンネル

でしたが、新たな短距離馬サクラバクシンオーが覚醒し始めていた。残り200mで先頭に立つと突き放していく。これに何とか食らいつこうとするヤマニンゼファーだったが、2着に上がるのが精いっぱいだった。

有終の美とはいかなかったものの、このまま引退。この年の最優秀短距離馬のタイトルを受賞した。

ウマ娘まで受け継がれる”ゼファー魂”

“ゼファー”とはそよ風という意味ですが、安田記念連覇に天皇賞秋制覇…そよ風にしては、強烈すぎる風だった。熱烈なファンがいて、ヤマニンゼファーがj走るたびに、”ゼファー魂”という横断幕が掲げられた。

しかも、ヤマニンゼファーの産駒が走るレースでも掲げられていたことも印象的。代表産駒は、ジャパンカップダート(GⅠ)2着のサンフォードシチーくらいに留まったものの、とても印象的な名馬だ。

そして、現在流行っているアプリゲームのウマ娘プリティーダービーで、1周年記念の際に、ついに追加キャラとして発表された(実は、アニメウマ娘2期でも、安田記念1着のモブウマ娘ということで、1枚絵で一応登場していますが、デザインは別になりました)。

立ち絵のみだったが、ヤマニンゼファーのライバルとして立ちはだかったニシノフラワーの育成時に、声入りで登場。ゲーム内で、育成できるようになる日も近いかも??

実装されれば、条件戦はダート戦を使ってますので、ダートの適性は高くなりそうですかね。そして、史実通りの熱烈なファンも登場しそうでしょうか。さらに、勝負根性も相当高いキャラクターで登場となりそうです。

結構かわいらしいデザインとなっていますが、そのギャップは人気が出そうな気がします。長距離馬が史実もウマ娘でも注目が高いですが、短中距離馬の代表格ヤマニンゼファーが登場すれば、また一段と盛り上がりそうです。

以上、”そよ風というのは強烈すぎた”ヤマニンゼファーの解説でした。注目が上がれば嬉しいです。

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