【ツインターボは臆病で逃げた!?】ウマ娘の元ネタ競走馬解説その5

アニメやスマホゲーム『ウマ娘プリティーダービー』のおかげで、競馬業界が盛り上がっていますね。

ウマ娘には、多くが史実になった競走馬が元ネタになっています。その元ネタの競走馬を、ウマ娘のエピソードと交えながら、まとめます。

なお、2022年4月現在、育成未実装の競走馬を中心にしています。

ツインターボ|名馬メモリアル|競馬情報ならJRA-VAN

参照サイト:JRA-VAN 様

続いて、”稀代の大逃げ馬””ターフのエンターテイナー”
ツインターボです。

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Contents

【ツインターボとは!?】ウマ娘の元ネタ競走馬解説

プロフィールについて

生誕日:1988年4月13日
性別:牡馬
毛色:鹿毛

父親:ライラリッジ
母親:レーシングジイーン
母の父:サンシー

生産者:福岡敏宏
馬主:黒岩晴男
調教師:笹倉武久→秋葉清一

デビュー:1991年3月2日
最終レース:1996年8月13日

生涯成績:35戦6勝(6.2.0.27)
獲得賞金:1億8398万円(中央競馬のみ)

特徴:
中長距離(1800~2500m)
大逃げ馬、圧勝or玉砕?

アニメウマ娘2期で強烈な個性を放っていますが、史実でも一際個性派だったツインターボ。大逃げのスタイルで、大勝か惨敗かという極端なレーススタイルで戦っていた競走馬です。そして数々の、名・迷実況も…

血統としては地味な方。父親ライラッジは、アメリカ13戦2勝。母親レーシングジイーンは未勝利戦1勝のみだった競走馬。

最も、父の姉がGⅠ3勝、祖父がGⅠ2勝。母父サンシーは、母父産駒としてGⅠ2勝のダイイチルビーがいます。両親ともども重賞制覇はなかったものの、全体的な血統で評価され、種牡馬・繁殖牝馬となった両親から生まれのがツインターボです。

また、両親とも産駒で重賞馬となったのは、ツインターボのみでした。

生い立ち:臆病ゆえに逃げ馬に!

アニメウマ娘2期で大きくクローズアップされたツインターボ。アニメ内では、史実通りの大逃げ馬で描かれています。オープニング映像でもおそらく1994年有馬記念の再現をしたと思われる場面があります。

ウマ娘の2期に登場するツインターボについて!どんなキャラなのか詳しくご紹介

出展:アニメ2期ウマ娘プリティーダービーオープニング映像より

アニメ内では、「ターボは最初から全力がいい、ずっと1番が気持ちいもん!」と大逃げスタイルを語っていますが、史実ではなぜ大逃げ馬になったのか、ちょっと詳細に語る必要があります。

ツインターボは、幼少期から食が細く、小柄な馬体でした。これは大人になっても415㎏程で、平均的なお馬さんよりも60㎏以上小さい計算になります。競走馬となっても、小さな馬体が非常に目立っていました。

当初は、地方競馬で走らせるつもりでしたが、同期の仔馬と走ると先頭を走りたがり、また動きが非常に良かったそうです。それに目を付けた笹倉調教師が、「うちで預からしてほしい」と頼んだことで、1990年春美浦トレーニングセンター笹倉武久厩舎に入ることになります。

良い動きを見せていましたが、調教では非常にて個づることになります。馬房では大人しいものの、人間には徹底的に反抗する気性の荒さを見せます。特に人が跨るのを嫌がったそうです。

さらにゲート試験に非常に手を焼きました。ゲートに入るのを徹底的に拒んだのです。狭い場所を嫌がるのは通常ですが、それにしてもゲートインに時間を要しました。

そして、ゲートに入ると、今度は全く出てこないという問題も発生。ゲート試験のパスに4か月も要するなど、デビューは1991年3月にまで遅れることになります。

また、人に反抗する一方で、他の馬を非常に怖がっていた面もありました。調教でも馬群に囲まれると、もうやる気をなくしてしまうという状況でした。そのため、馬が密集しない時間帯で調教を行っていました。

笹倉調教師はレースプランを考えました。通常の馬群競馬はツインターボにはできない。逃げの競馬しかできないだろう。またゲートが苦手なため、スタートダッシュも苦手。短距離よりもゆったり流れ、かつスタミナが厳しくならないほどの距離、2000m前後のレースのみに焦点を絞ることにしました。

小柄だったためか、他の馬を非常に怖がる性格だったツインターボは、逃げの道しかないということで、逃げる戦法になりました。アニメの性格とはだいぶ違いますね。

逃げスタイルで連勝、初重賞制覇も!

新馬戦はダート1800m。新馬戦は短距離が多いですが、短距離では逃げれないということで、かなり長めの距離を選択しました。

笹倉調教師は、石塚騎手に「ハナ(先頭)を切れ。あとは舵取りするだけでいい」と指示しました。

3/2 4歳新馬ダ1800m 1着(石塚騎手)
3/24 もくれん賞芝2000m 1着(石塚騎手)

この指示に、石塚騎手はしっかりと応え、ツインターボもスタートダッシュを決め、デビュー戦を、見事3馬身差で勝利!続けて2戦目芝2000mも勝利をあげます。いずれも、逃げの戦法で勝利を飾ります。

陣営は思い切って、ダービーのトライアルレースだった青葉賞へ出走を決めます。3着以内に入れば、ダービー出走が叶います。

4/27 青葉賞(OP)芝2400m 9着(大崎騎手)

でしたが、スタートに出遅れてしまいます。そこからハナに立つものの、東京競馬場は2400mと長め。しかも最後の直線が長いので、差し馬が有利なレース。レオダーバンの着に屈し、初の敗北となります。

5/26 駒草賞芝2000m 5着(柴田騎手)
6/30 ラジオたんぱ賞(GⅢ)芝1800m 1着(大崎騎手)

1戦挟んで、初の重賞戦にチャレンジすることに。条件馬でありながら、5番人気に支持されます。ラジオたんぱ賞が行われる福島競馬場は、最後の直線が短く、逃げ馬にチャンスがあるとみる競馬ファンが多かったのです。

トップで直線を抜けてくると、粘って粘って1着でフィニッシュ!条件馬ながら初重賞制覇。また笹倉調教師にとっても初重賞制覇だったそうです!

9/22 セントライト記念(GⅡ)芝2200m 2着(大崎騎手)
11/17 福島記念(GⅢ)芝2000m 2着(大崎騎手)

休養を挟み、秋はセントライト記念から始動。中山競馬場で行われる重賞レースで、この競馬場も最後の直線が短いレースです。

トップで最後の直線に入りますが、ストロングカイザーとレオダーバンの激しい追い上げに合います。ストロングカイザーに交わされるも、レオダーバンの追い上げは凌いで2着に!

レオダーバンは、日本ダービー2着で、のちの菊花賞馬でもありますので、非常に価値があるレースでした。なお、セントライト記念3着以内なら、菊花賞への優先出走権が得られますが、

ツインターボには距離が長すぎるということで、出走は回避。独自路線を貫きます。続いて、もう一度福島競馬場のレース、福島記念に出場しここも2着と健闘します。重賞1着1回、2着2度の好成績でした。

有馬記念:JRA推薦も…鼻出血で1年棒に

そして、ツインターボは年末の有馬記念で初GⅠ出走を果たします。当時の有馬記念の出場条件は、ファン投票及びJRAの推薦でした。ツインターボは、セントライト記念で菊花賞馬のレオダーバンに勝ったことから、JRA推薦を勝ち取ったのです!デビュー1年弱で、大出世です。

参照サイト:JRA公式チャンネル

12/22 有馬記念(GⅠ)芝2500m 14着(大崎騎手)

とはいえ、2500mとツインターボにしては距離が長いうえに、これまでとは遥かに格上のレース。ハナに立って主導権を握りますが、第3コーナーで早くも捕まり、直線に入るころには下位に。14着と大敗します。

さらに、レース中に、鼻出血していたことが判明し休養に入ります。たかだか鼻出血と思われるかもしれませんが、お馬さんは口呼吸ができないため、命にかかわることがあります。また、肺出血の恐れもあるので、慎重に対応する必要がありました。

復帰には1年近くの時間要しました。

1992年
11/8 福島民友C(OP)芝1800m 10着(柴田騎手)

得意の福島県の舞台で、復帰。1番人気の支持を得ますが、第3コーナーで早くも失速してしまい、10着大敗。結局1992年は、この1戦のみに終わります。

1993年
1/5 金杯東(GⅢ)芝2000m 6着(柴田騎手)
3/14 中山記念(GⅡ)芝1800m 6着(柴田騎手)
5/16 新潟大賞典(GⅢ)芝2200m 8着(大崎騎手)

年明け、重賞レースに復帰するも、逃げ切ることが出来ずに、6着・6着・8着と掲示板(5着以内)を外す結果が続いてしまいます。中々、91年時の勢いある走りと行きませんでした。

七夕賞:中舘騎手との出会い

続いて選んだのは、福島競馬場で行われる七夕賞。ここでツインターボに転機が訪れます。スタートや逃げ馬に定評がある中舘騎手を鞍上に迎えます。

実は、中舘騎手は、ツインターボのデビュー戦を見た時から、いつか乗ってみたいと思われていたそう。苦戦が続くツインターボ陣営としては、願ってもないチャンスでした。

当日は福島競馬場最多5万人近くも来場!なぜこんなに多かったのかと言うと、このレース、ツインターボを含めて逃げ馬が5頭もいたのです。逃げ馬は先手を照れなければ勝ち目がありません。なので激しい先手の取り合いの消耗戦になります。

お客側からすれば、”逃げ馬だらけの大運動会”ということで、大変エンターテイナー満載の競馬だったわけです。中館騎手とツインターボの運命はいかに…

参照サイト:ひろし田中 様

先行馬5頭の、先頭争い…アウトコースから一気に出てきたのは、青のめんこをつけたツインターボでした。いつも以上の先行争いでペースが上がる中、なりふり構わず突き抜けていきました。そして、1000m通過57.4秒と、超ハイペースで大集団を引き連れていきます。

そして、いつものように第3コーナー付近で、後続にとらえられ…ませんでした。ツインターボのハイペースに巻き込まれた後続の集団が、全馬スタミナ切れを起こしてしまったのです。

そんな中で、3600mの重賞レースを制したことがあるスタミナ馬、アイルトンシンボリが最後まで追いかけます。ツインターボもへばっており、最後の直線で泡を吹いていましたが…

吼えろツインターボ!!全開だ!ターボエンジン逃げ切った!!

7/11 七夕賞(GⅢ)芝2000m 1着(中舘騎手)

中舘騎手の腕で、いつも以上にスタートが良かったのは確かです。それにしても、すべての馬を壊滅させて、約2年ぶりの勝利をもぎ取るとは…。ちなみに、下位4頭は他の逃げ馬が独占しています。

なお、ウマ娘2期10話でも、ゴールシーンだけ再現されています。

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他のレースのゴールと比較すると分かりやすいのですが、全くスピード感がありません。終盤みんなへばっている様子を再現しています。

オールカマー:伝説レース、史実は幻惑大逃げ

さて、ツインターボ史実上でも、アニメウマ娘的にも伝説となっているレースになります。

 アニメ2期(ネタバレ)では、

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トウカイテイオーが3度目の骨折後、悩みに悩んだ末、引退を決意していました。そんな中、ツインターボが(片想いの)ライバルのトウカイテイオーに、「オールカマーで勝負したい」と話を持ち掛けます。

テイオーは、「ボクはもう走らないから勝負を諦めてほしい」と返事。ターボは「諦めるなんてテイオーらしくない!」と返事。

その後、地団駄を踏んで食い下がるツインターボに、イラっと来た「(GⅠ天皇賞春で勝った)ライスシャワーもいるんだよね。他にも強いウマ娘が出ている。君が逃げ切れるわけがないよ」と言い放ちます。

ツインターボは「ターボ勝つから!絶対逃げ切って勝つから!テイオーのあんぽんたーん!」と叫びながら、その場を去ります。そして「ターボやるもん!テイオーの目の前で絶対絶対逃げ切って勝ってやる!諦めなければやれること見せてやるんだ!」と誓います。

そしてレース当日…

《さぁこの場内のどよめき!ツインターボのとにかく逃げ!何バ身開いているかとても実況では今の段階ではわからないぐらい大きく大きく差をつけて逃げていっています!》

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《ツインターボが逃げる!ツインターボが大逃げだ!ターボエンジンは今日も全開!第3コーナー入って加速が止まらない!全霊燃やして走り尽くす》

《さぁ追いかける1番人気ライスシャワーが上がってきて3番手を…》

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《さぁ早くもツインターボだけが!ツインターボだけが!第4コーナーのカーブに入ってきました!》

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《ツインターボが大きく逃げる!ツインターボが大きく逃げる!》

《さぁ最後の直線!ようやくライスも上がって来た!しかしツインターボ残り200mの標識にかかる!ライスシャワー届かないか!?》

「はぁ…はぁ…これが諦めないってことだぁー!!」

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《ライスシャワーこれはもう無理!》

「トウカイテイオー!!」

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《11番のツインターボ!見事に決めたぞ!逃亡者ツインターボ!》

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出展:【ウマ娘 プリティーダービー 2期】第10話 感想

スポ根全開の展開となっています。とはいえ、史実大逃げで圧勝したのは、事実なのですが、中身は結構違っています。

前走のこともあり、マークが高くなったツインターボ。しかもオールカマーは、秋GⅠの前哨戦として、利用する場合が多いレースです。

過去にはオグリキャップも走っていますし、この時は、天皇賞春1着のライスシャワー、桜花賞馬シスタートウショウ、前回優勝のイクノディクタスなど有力馬が揃いました(なお、オールカマーは翌年からGⅡ格上げ)。

前走七夕杯は、ツインターボについていったために各馬潰れました。なので、相手にせず逃がしておいて、バテてきたところで捉えればいい。そしてGⅠ馬ライスシャワーをマーク、というのが各陣営の考えでした。

そのことは、笹倉調教師も織り込み済みでした。そこで、中舘騎手に「いつも通り逃げろ、ただし道中ペースを落としていけ」と指示しました。

中舘騎手は、返し馬の際に、全力疾走を行い、陣営の警戒心を最大限に高めました。

参照サイト:Hiroshi Takeuchi 様

スタート直後から、いつものように飛び出して、大きく後続を突き放しています。カメラで大きく引くくらいなので、物凄い早いのだろう、と思いきや

1000m通過は59秒5程。前回より2秒遅いペースにも関わらず、大差がついていました。のちにレース映像を見た中舘騎手でも「なんでこんなに離れているのか信じられない」と答えたそうな…

それだけ各陣営が『ツインターボについていって自滅したくない』と強い警戒心を持っていたためなのでしょう。いつもよりは脚が残っていたツインターボは、3コーナー以降の失速は最小限に抑えられます。

9/19 オールカマー(GⅢ)芝2200m 1着(中舘騎手)

各陣営が「やられた」と気づいて、鞭打った時には、セーフティリードに。重賞レースで、逃げ馬が5馬身差圧勝と、とても強烈なレースとなりました。

中舘騎手とのコンビで、一気に名声が上がりました(とはいえ、中舘騎手自身は、実際に乗ってからは「ゲートで暴れたりで、乗っていて楽しいというわけではなかった」とコメントされてますが…)

天秋で壊滅…ターフエンターテイナーへ

次走に選んだには、久々のGⅠレース天皇賞秋。このレース大本命だったメジロマックイーンが、4日前に故障発生で引退。本命不在の大混戦ムードが漂いました。

前2走で印象深いレースで圧勝したツインターボにも注目が集まり、一時は1番人気に支持されるほど(最終的には、3番人気)!ですが、この大舞台で各陣営のマークも本気になっていました。

参照サイト:JRA公式チャンネル
10/31 天皇賞秋(GⅠ)芝2000m 17着(中舘騎手)

1000m58秒台と、早めペースで逃げを打ちますが、リードは5馬身程。実力馬が、付かず離れずの絶妙な差をキープして追走します。

第4コーナーに差し掛かったところで、一気に差がなくなります。直線を向いた地点で首位を明け渡すと、あとは失速する一方。大差最下位の17着に終わります。

この様子を、三宅正治アナウンサー実況では”ツインターボの逃げは残り500mで壊滅している“と表現される始末。迷?実況としても、印象に残ってしまいました。

1994年
1/23 AJCC(GⅡ)芝2200m 6着(中舘騎手)
3/20 日経賞(GⅡ)芝2500m 6着(中舘騎手)
8/21 函館記念(GⅢ)芝2000m 11着(田面木騎手)
11/20 福島記念(GⅢ)芝2000m 8着(宗像騎手)

それ以降もレースに出場しますが、全く振るわなくなってしまいました。大逃げは打つものの、第3コーナー以降で”逆噴射”を繰り返してしまいます。

最も、これが様式美となってからは、競馬ファンには大受け。そして、次はもしかすると逃げ切ってくれるかもしれない、という期待も絶妙に持たせていたそうで、

いつしか”ターフのエンターテイナー”として、多くのファンから愛されるようになっていきました。

なぜか推薦を受けた94年有馬記念

“ターフのエンターテイナー”として象徴的な出来事が、起きたのが1994年有馬記念。前述通り、当時の有馬記念は、ファンからの人気投票とJRAからの推薦で決まります。

惨敗を繰り返していたにもかかわらず、JRAからの推薦を受けたのです。なぜか、この年の有馬記念、JRAは盛り上がりの要素にかけていると頭を悩ませていたのです。

クラシック三冠馬ナリタブライアン以外の、有力馬は故障で回避や引退、もしくは不調が続いている状態だったのです。そこで、大逃げでレース盛り上げていたツインターボに白羽の矢が立ったのです。

つまりが、JRA公認の”盛り上げ役”として、年末グランプリ有馬記念の出場の打診を受けたのです。

受けたからには仕事をしないといけない。”破滅的な大逃げ”を打ちます(ちなみに中舘騎手は、主戦ジョッキーだったヒシアマゾン騎乗)。

12/25 有馬記念(GⅠ)芝2500m 13着(田中騎手)

思い切ったスタートダッシュは、アナウンサーが”うわぁ…”と引いてしまうほど。1周目の直線の大観衆の声援に応えるように、気持ちよくリードを広げます。

“何馬身”ではなく、”何十m”単位で差を伝えられるのは、中々競馬でお目にかかることはないでしょう。向こうの直線では、一時は引いたカメラでは、状況がほとんど分からないほどの差になりました。

勿論持つわけなく、第3コーナー手前で、一気に差が詰まってきます。そして残り500m付近、”ツインターボの先頭はここで終わり“とまた、印象に残る実況が残ることになりました。

帝王賞:武豊騎手が逃げを打たず、大ブーイング!?

翌年1995年も現役を続行します。

1995年
1/22 AJCC(GⅡ)芝2000m 10着(中舘騎手)
4/13 帝王賞(重賞)ダ2000m 15着(武豊騎手)
5/14 新潟大賞典(GⅢ)芝2000m 11着(宗像騎手)

4月に、新馬戦以来となるダートレース帝王賞に出走します。この時の鞍上は、武豊騎手。どんな逃げレースになるか、ファンはわくわくしてレースを観戦しました。

ところが、この時陣営が選択したレースは差しレース。つまり、逃げを打たなかったのです。ツインターボはそのまま沈んでしまい最下位15着。

ゴール後の武豊騎手「逃げる気はなかった」の発言で、ターボファンが大激怒。「逃げないツインターボなんてツインターボじゃない」「生涯逃げ馬じゃなくなった」「逃げ馬ツインターボの歴史に泥を塗った」と批判を浴びる形に。

とはいえ、惨敗を繰り返していた中、武豊騎手「ツインターボの新たな面を見せたかった」のも、必要なことでした。

最終的に、勝利を求め新潟大賞典を最後に、地方競馬に転厩することになりました。

上山競馬で現役を終える

1995年夏に、山形県上山競馬場(2003年廃止)に移りました。比較的レベルが低く、ダートで、起伏がない平坦なコースが選ばれました。

7/23 文月特別(A2)ダ1700m 1着(海方騎手)
8/20 A2ダ1700m 9着(海方騎手)
9/3 A2ダ1700m 7着(海方騎手)
9/19 長月特別(A1)ダ1800m 10着(田代騎手)
10/15 神無月特別(A2)ダ1700m 9着(田代騎手)
10/31 A1ダ1800m 9着(田代騎手)
11/25 A2ダ1700m 除外(山中騎手)
1996年
4/16 A1ダ1800m 9着(海方騎手)
4/29 A1ダ1800m 9着(海方騎手)
6/10 水無月特別(A2)ダ1700m 9着(遠藤騎手)
7/9 文月特別(A1)ダ1800m 7着(遠藤騎手)
7/22 A2ダ1700m 7着(遠藤騎手)

初戦は勝利。最後の直線で、一瞬脚が止まりかけるも”もう一度ターボエンジンを吹かせる”レースで、後続場を寄せ付けませんでした。

でしたが、その後のレースはやはり勝負にならず。最下位かブービーのみの成績が続きます。9歳馬となった1996年に入っても変わらず、陣営は現役引退を決意します。

8/13 クラスターC(GⅢ)ダ1200m 11着(海方騎手)

最後に、盛岡で行われたクラスターカップに出場します。引退式の代わりに、1枠1番のツインターボを、パドックを彼一人で一周させる活きな計らいがあったそうです。

レースはやはり惨敗。距離が1200mと短かったこともありますが、逃げようとしても逃げを打つことができませんでした。5番手追走がやっと、第3コーナーで後退し、ブービー11着に。逃げ馬の最後として、ある意味相応しいレースだったかもしれません。

生涯まで、ターボエンジン全開…

引退後は、宮城県で種牡馬入りします。血統も戦績もパッとしなかった中、初年度5頭の種付けが行われました。

しかし、1998年1月15日、ツインターボは心臓麻痺により、早すぎる生涯を終えてしまいます。生涯まで、駆け足で去っていかなくても…と思ってしまいますが、他の競走馬よりも、心身疲れ果てていたのかもしれません。

残された産駒で、重賞まで勝ち上がってくる競走馬は現れず。ツインターボの血は完全に途絶えています。

今もなお愛され続けている

最高勝ち鞍は、ラジオたんぱ杯・七夕賞・オールカマーのGⅢのレース。通常なら、それほど語られることもなく、まして競馬ゲームなどで登場することはないだろう。

ですが、極端なレーススタイルで、”稀代の大逃げ馬”だったツインターボは今なおもって語り継がれています。

2000年JRAが行った「20世紀名馬アンケート」では、ほとんどが何らかのGⅠレースを制している競走馬が選ばれている中、91位にランクイン。GⅠレースを優勝なしで、100位以内ランクインは、ツインターボを含め当時3頭のみ(2001年にGⅠを制するステイゴールドの34位、GⅠ有馬記念3年連続3位ナイスネイチャ71位)。

自身が勝っている福島競馬での人気は特に高く、
2014年には、第50回を記念する七夕賞が、投票で歴代優勝がメモリアルレースが行われることになり、投票結果ツインターボが1位。

七夕賞当日に、『韋駄天 ツインターボカップ』が、七夕賞も『ツインターボメモリアル 七夕賞』の名の元レースが実施されました。なお、どちらのレースも勝利したのは、逃げ馬だったそう。

2017年には、福島競馬場100周年記念で、福島競馬場ベストホース投票で1位。しかも半数がツインターボ票で、2位の馬に10倍以上の差をつけていました。

これだけの人気ならと、2018年には福島競馬場で「ツインターボ展」まで開催。GⅠ未勝利では異例なことでした。

そして、ゲーム・ウマ娘プリティーダービーにも登場。育成としては、まだ実装されていませんが、

ここにきて、「大逃げ」レース選択や、ツインターボのサポートカードが登場して、もしかすると近いうちに育成することができるかもしれません。

有馬記念を大逃げで勝たせようと思っている方も、いらっしゃるでしょう。今後もまだまだ、人気の競走馬であり続けそうです。

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