日本女子テニス界のレジェント的存在と言える伊達公子さんが、
9月11日開幕のジャパンウィメンズオープンを最後に現役引退を表明。
1989年(19歳)にプロ転向、
1996年(26歳)に一度引退し、
2008年(38歳)に現役復帰をされていたが、
2017年(46歳)でついに
「再チャレンジにピリオドを打つ決断(本人綴る)」をされた。
Contents
なぜ、このタイミングで引退されるのか
2016年の全豪オープン後に、
左半月板の内視鏡手術を受けたが、
経過が良くなく再手術を行った。
今月5月にカンガルーカップ国際女子オープンテニスで
約1年4か月ぶりに復帰。
同5月のチャンウォン女子チャレンジャーで
復帰後初勝利を飾ったものの
「苦しいリハビリを乗り越え、コートに立ったが
怪我前のレベルと比べるとギャップを埋められなかった」
とのことです。
「今は残された時間をしっかり受け止めながら過ごす」
「再チャレンジのピリオドを打つ瞬間を多くの方と共有したい」
伊達公子さんの経歴
ここで、伊達公子さんの経歴を振り返ります。
アマチュア、1度目の現役、引退、2度目の現役と分けます。
アマチュア時代
6歳からテニスを開始
中学時代に滋賀県テニス選手権で優勝
高校は兵庫県尼崎市にある園田学園高等学校へ入学。
1988年IHで「シングルス・ダブルス・団体優勝の3冠!」
天才の片りんを見せる。
1度目のプロ時代
1989年:全仏オープンで4大大会デビュー、本戦2回戦まで進出
1990年:全豪オープンで4回戦まで進出
1991年:8月のバージニア・スリムズ・オブ・ロサンセズル大会で当時世界ランキング3位のサバティーニ選手を破る。全日本テニス選手権の女子シングルスで初優勝。
1992年:世界ランキング5位の選手に勝利、全仏オープン初めて4大大会のシード選手になる。全日2連覇。WTAアワードの「最も上達した選手賞」に選出される。
1993年:全米オープンで初の4大大会ベスト8進出。
1994年:1月に豪で行われた大会で海外初優勝!日本女子テニス界初の世界ランキングトップ10に躍進!全豪オープンで4大大会初のベスト4進出!日本人初、バージニア・スリムズ選手権の出場権を獲得(当時は世界ランクベスト16が条件)
1995年:国際大会で活躍、4大大会でも日本人初のベスト4を進出。11月に世界ランク4位に進出し、年間まで保つ。 日本プロスポーツ大賞殊勲賞受賞。
1996年:4月27日~28日、東京の有明コロシアムで開かれた女子国別対抗戦にて、世界ランク1位シュテフィ・グラフを破る活躍!アトランタ五輪はベスト8!8月25日にWTAツアー7勝目!
しかし、WTAツアー年間最終戦にて当時16歳のマルチナ・ヒナギスに敗れたことを機に、9月24日に現役引退。このとき、世界ランキング8位だった。
1度目の引退
2001年12月1日、ドイツ人でレーシングドライバーのミハエルクルムと結婚する。
2008年3月15日、東京・有明コロシアムにてグラフ選手らとエキシビジョン・マッチを行い、伊達公子が勝利する
2度目の現役
2008年4月7日に12年ぶりに現役復帰することを表明する。復帰理由は「若い選手へ刺激を与えるため」とした。
4月27日に現役復帰すると、6月15日にプロ復帰後初勝利、
11月に全日本テニス選手権を16年ぶりに優勝!38歳での優勝は2番目の年長記録
2009年:4大大会にも挑戦、全豪オープンで予選突破するも初戦敗退。ハンソル韓国オープンで13年ぶりにWTAツアーシングルス優勝。これも歴代2位の年長記録となった。
2010年:5月に全仏オープンで現役復帰4大大会初勝利。10月の大会でWTA史上初40歳を超えた選手が世界ランクトップ10の選手を破った
2011年:10月の大会でダブルスにて優勝を飾る
2012年:4月に日本人と組んだダブルスで優勝を飾る。シングルスは世界ランク100位以下となるも、現役続行へ
2013年:全豪オープンで42歳にて1回戦勝利し最年長勝利記録更新、そのまま3回戦まで進出した。ウィンブルドン選手権でも3回戦まで進出、これも史上最年長である。
2014年:全米オープンダブルスにて準決勝進出を果たす
2015年:WTAのダブルスでの世界ランキングを23年ぶりに更新(1002年の33位)し28位へ
2016年:シングルスでの連続本戦出場が8で途切れる。2月に左ひざ半月板の内視鏡手術を行うも再手術が必要な状態であった
こうみると、本当に絶頂期の時に1度やめられ、そして2度目の現役時代もとても輝かれていたように思います。
9月11日の現役最後の瞬間を目に焼き付けたいですね。